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東京十社のひとつ

東京都千代田区にある神田明神は、創建が730年だとされている古くから存在している神社です。
東京や近郊に存在している神社である、東京十社のひとつとして知られています。
御祭神として祀られているのは、大己貴命と少彦名命、そして歴史的にも有名な平将門命の3柱とされています。

特に有名な平将門公は、厄除けや勝負の神様として知られています。
平将門公は935年のいわゆる平将門の乱で戦死し、京都で晒し首にされていました。
その首を何者かが持ち去って神田明神の近くに葬ったのが首塚だと言われています。
伝説として、晒しものにされていた将門公の首が自ら飛び、落ちたのが首塚の場所だとも言われています。
その後、疫病が流行すると将門公の祟りだと考えた人達は、丁寧に供養を行ったそうです。
結果的に1309年に神田明神の相殿神になりました。

参考:神田明神

神田祭

神田明神の祭礼として行われている神田祭は、江戸の三大祭の一つとして5月に行われています。
以前は旧暦9月15日に行われていた祭りですが、近年は5月に行われるようになっています。
平将門公が勝負事の神様だと慕われていたことから、徳川家康が関ヶ原の合戦の際に勝利の祈祷を行っていたと伝えられており、大きな祭りとして発展するきっかけになったと言われています。
元々は山車が町を練り歩く祭りでしたが、近代の都市化によって山車の通行が難しくなりました。
更に関東大震災は太平洋戦争時の空襲などの影響により山車が焼失したことから、現在では山車はなくなって町御輿になっています。
神田祭の大祭は隔年で実施されている特徴があります。

神田明神のパワースポット

神田明神にも各所にパワースポットと呼ばれる場所が存在しています。
江戸時代に建築された社殿は、関東大震災の影響により焼失しました。
かつては豪華な社殿として有名だったことから、自然災害の影響とはいえ肩を落とした人が多かったそうです。
そこで今度は丈夫な社殿を作ろうとして、当時の社殿としては珍しい鉄筋コンクリート製の社殿を再建しました。
太平洋戦争時の空襲にも耐えぬき、現在でも当時の姿を残しています。
激しい空襲にも負けなかった強さにあやかるためにも、正しいマナーで参拝をしてください。

社殿裏にある摂末社には、江戸神社が存在しています。
神田明神も古い歴史がある神社として知られていますが、江戸最古の地主神として知られているのが江戸神社です。
昔から庶民にも親しまれている神社で、現在でも多くの人が参拝しています。

また、架空の人物ですが銭形平次が神田明神に住んでいたとう設定があったことから、銭形平次の碑が存在しています。
実在していた人物ではありませんが、お金の形をしていることからも商売繁盛を祈願する人も多いそうです。